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全くもって自分も馬鹿だと思う。
何故あんないけ好かない男の口車に乗せられて、こんな所を歩いているのだか。
通称都と呼ばれる、此処、岱都(たいと)国の西街と言えば、夜の無い街で有名だ。
煌びやかに装飾を施された店々は、酒屋に料理屋、芸者屋、そして街の奥には遊郭。
人々は熱に浮かされ、遊び、そうして朝になれば束の間の夢は否応無しに覚める。
取り残されるのは空になった懐と浮世の身。
そんな花街である。
今は昼間の為、人通りもなく、仕入れや料理の下準備等で動き出している者がいる程度。
夜とは打って変わって静かなものだ。
それでも其処が花街である事に変わりは無く、縷火は昼間からこんな所を歩く自分に笑いたいような呆れたいような気分を味わっていた。傍から見ればさぞかし好色者に写るだろう。
道の先に目当ての赤い門を見つけて、縷火は安堵と呆れで溜息を吐いた。
赤い門扉以外は之と言って目立つ装飾を付けてはいないが、花街の店にしては地味、普通の住居にしては場所が場所な上、少しばかり派手だと思う。
これでは本当に花街の中の住居だ。
気が合うか否かとか侍として如何かとか以前に、人として如何なのだろう。これは。
門を潜ろうか、立ち尽くして本気で懊悩していたら、声を掛けられた。
「おや珍しい。此処の旦那にお客が来るなんてサ」
煙管を片手に、いかにも花街に住む者といった風情の女が一人。
縷火なぞよりも年は下に見えるが、纏う空気はいっぱしの女のそれである。
如何返すべきか迷っている男に、にこりと笑うと、
「おぅい旦那。美人のお客を待たせてるんじゃナイよ!」
大きな声で、ご丁寧に口に片手をあてて、閉じた門扉の内に呼び掛けた。
止める暇も与えられなかった縷火は、美しい花魁を呆気にとられて見つめるばかりである。
「おにィサン今度来る時は夜ウチにおいでナ。何時でもお座敷とったげるヨ」
ケタケタ笑って言う。
笑って、言い返す。
「生憎そんな金おにいさんは持って無いんで遠慮しとくよ」
女が目を見張り、次いでケタケタと笑いだしたその声が合図だったように、
赤い扉が軋んだ音を立てて開いた。
「あの質問はずるいだろう」
「は。ずるい?」
「刀握りたくはないか、と言うんだろう」
「その通り。今一度人を斬りたいですか、と」
目の前の男の気配が変わる。
懐かしい空気に、理解する。
・・・・・ああ。この男は侍なのだ。
戦場でしか息のできない哀れな生き物。
「武士なら。取りたいとしか言えん」
にやりと笑ってやった。
「さぁ。そっちも答えな」
未だにこにこと笑って、一口お茶を啜る。
「さてさて。何処から始めますかねぇ」
外を子供等が駆けて行く。
けたけたと笑う声と、犬の吠え声が通り過ぎた。
「まぁ、簡単に言えば商人に雇われる用心棒を」
・・・・何を言うかと思えば。
このご時世、刀を提げるのもままならぬのに、どうやら随分と危ない橋を渡るつもりだ。この男。
「公では無い訳か」
勤めて冗談の様に。
男は態とらしく目を見張り、
「まさか。素手で行う用心棒なら問題無いでげしょー?」
どさり。
隣に人が座って来た。棒天振でもしていそうな風体だ、と思ってから、自分と大差無い格好だと気付く。
店の者が小走りに寄って来て、注文を取る。
といっても、この店は茶か団子程度しか無いようだったが。
去って行く店の者を見送って、眼前に思考を戻す。
男は顔に貼り付けた笑みを深くして、微妙に節の付いた言葉を吐いた。
「まぁ、その気になったら西の街の外れ、赤い扉を開いてごらんさい、とね」
「で」
何故、俺に声を?
廃れた茶屋で、軋む縁台に腰掛ける。
看板は廃れていても、出されたお茶は中々だった。
「闇色の長髪に海色の瞳の美人さん」
にこにこ笑いながら、人の顔をジロジロと。
「知ってやすよ。あんた、縷火(るふ)さんでげしょ」
「そういうあんたは」
「火濫(からん)と言いやす」
胸に去来したのは、悲しみと怒りと一抹の喜び。
まだその名を覚えている人間がいたとは。
「・・・人違いでしたかね?」
俺の沈黙を、否定と見たのか、片眉を上げて首を傾げる。
顔には笑み。にこにこにこにこと。
「その名は使ってない。今は天空(そら)だ」
「さようで」
気に喰わない気に喰わない。
縷火と、その名を呼ばれた。
もう昔の記憶。
唯一の人。
眉を寄せて男の顔を見やる。
黒よりは茶に近い肩までの髪に、瞳は光の加減で金にも光った。
全体的に色の薄い男だ。
「では改めて天空殿。今一度刀、握りたくはありやせんか?」
にこにこにこにこ。
ここまで来ると、最早無表情と変わらない。何を考えているのか読めない。
「・・・何を考えている」
致し方ないので、直接本人に聴いてみる。
「先に質問の答えが欲しいですなぁ」
まるで劇中の台詞の様な声が返って来た。
見上げる青空より血色の薔薇を
その甘い香に私は窒息する
抜け殻の上を
猫が歩いた
数十年に渡る戦乱の後。
刀よりも銭が物言うようになった時代。
そんなある国の話をしよう。
何時もの様に、街を歩いて行く。
目的は無く、する事もなく、ついでに言えば銭もない。
この時世、戦は終わり国々の再建も滞りなく、街に並ぶは商人(あきんど)の店々。
人々の顔には笑顔。少しばかり憎らしい程に。
大戦が終わり戦場が消え、人々は人斬りを恐れた。
侍は廃業した。
まぁつまり、今の自分は立派に失業者な訳である。
巻き割りやら下働きやらしてその日の糧を何とか得ている、そんな状況だった。
さて、本日は晴天。何をしようかとどうにも悲しい事をつらつら考え歩を進める。
「ちょいと、ちょいとそこの色男(いろお)さん」
戦後一番栄えている国、都の大通り。そんな風に呼び止められると思う程自惚れてもいないので、気にも留めず。
すると、背後から肩を掴まれた。
「っ」
条件反射で左手が腰に行くが、其処に在るべき物は無い。
「ちょいと。花街に置いたら売れっ子間違いなさそうなお兄さん」
振り返ったら、少し上に満面の笑みがあった。
「お侍さんでげしょ」
見るからに軽薄そうな笑み。
第一印象からして、嫌いだ。
「侍なぞこの世に残っていないだろうさ」
我ながら冷ややかな声が口を付いて出る。
「では、今一度侍に成ってみやしやせんか?」
情けないことに、一瞬思考が停止した。
「・・・何を馬鹿げたことを」
「馬鹿げてなんかいやせんよ」
にこにこにこにこ。笑いながらぬけぬけと。
気に喰わない。
「まぁ、こんな所ではなんですし」
くいくい。と親指を立て、一軒の店を指す。
見るからに廃れた茶屋だった。
繰り返すようだが、暇である。何分失業中故。